朝の通勤電車にベビーカーの赤ちゃん乗せた若いお母さんが乗り込んで来られました。
ぎゅーぎゅーに混んでるわけでもなく、まあそのくらいのスペースはあったんですね。
その子は乗ってくる時からちょっとぐずり気味だったんです。
その近くにいたオバサンが「チッ」と舌打ち。
嫌な感じです。
電車が動き始めると赤ちゃん本格的にぐずり出しました。
オバサン、「ハァー」と聞こえよがしのため息をついてから、人を押しのけて車内を移動。
おお、なんと嫌な女であろうか。
おそらく、周りにいた人たちも同じ気持ちだったんでしょう。
なんて下品で不愉快な女だろう、お前という奴は。
周りの人は親切でしたね。
ベビーカーを畳んで赤ちゃんを抱きかかえようとするお母さんを、
上品なご婦人と気だての良さそうなお嬢さんが手助けし、
初老の紳士が席を譲ります。
紳士の隣に座っていた青年も一緒に立たざるを得ない。
ため息をついて2メートルくらい移動したオバサンが
その後どうしたかは知らない。
たぶんどこかでのたれ死んでると思います。3日前くらいだけど。
親切は波紋のように世間に広がっていきます。
「情けは人の為ならず」とは巡り巡って自分に返ってくること、とされますが、
1の親切が100回払い位に分割されて返ってくるわけで、
自分に返ってくるなどと思うべきでないです。
上の例の場合、見知らぬ者同士のことで、
子供を連れたお母さんがどこの誰かとか一切関係ないし
席を譲る時に「名前は?」とか聞いたら頭の悪いナンパだと思われます。
親切をする側も受ける側も「この世間にいる誰か」でしかないところに
価値があるように思います。
親切は特定の人の為にあらず、公徳である。
不親切も世間に広がっていきます。これは割れ窓理論?
最近、「だれにもめいわくかけてねえしーなにがわるいの」という若いのいますね。
こういう場合は、お前何も良い事してないじゃん。というのが答え。
世間に対して何も良いことしてくれない人は居るだけで迷惑って、
これはまた乱暴な意見。
メモとして。
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